2015年8月15日土曜日

百姓と戦争

戦争が終わって70年

この国には また戦争を始めたい人たちがいる
それは お金のため プライドのため アメリカやさまざまの関係のため
わたしには少し 理解しがたいことだけれど
人の命や生活を守ろうとしてやっているのではない ことだけはわかる

わたしの実家は百姓で
野菜をたくさんつくっている
休みに帰ると
この夏の暑さと日照りと草とのたたかいで 父も母も やられっちまって
地面に這いつくばりながら 砂埃にまみれながら
なんとか生きているという有り様

野菜たちはそれでも美しく美味しく
こんな暑さの中でも 実をつけて
キュウリはみずみずしく トマトは酸味を持ち 塩をかけるだけでいける
ナスは黒光り 終わりかけの茗荷は花をつけて
野菜たちは命をつなぐ糧として 食卓に並ぶ

わたしはスーパーで売られている製品を見ても
その裏にある悲喜こもごもの物語を知らない
よその国の誰かが泣きながらつくっているものかも知れない
スーパーで命のやり取りを感じることはなかなかに難しい

畑のなかには生き死にがあって
育てている野菜だけでなくて
虫カエル蛇鳥けものたち 雑草やらきのこやら
みんな必死に生きるため 日々 格闘 していて
百姓も 一緒になって格闘しながら
わたしたちが食べるものを取り出すために ある種の搾取もしている

汗水垂らして産み出されるものが 
効率的であるとか 経済的であるとか
そういう物差しで測ること自体 あまり意味のないことだと思えて
泥にまみれながら 毎日の天気に一喜一憂しながら 
昨日は恵みの雨が降った
と安堵する
このか細くて確かな健全さを わたしは信じている


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