2015年8月13日木曜日

ダンスを



7月から職種が変わる。

営業から編集へ。本の内容を話して伝える仕事から、ものを書いて伝える仕事に。
どんなことができるか。どんなことをしたいか。

仙台に久々に行ったこともあって、そもそも、どうしてこの仕事をしたいと考えていたのかを思い出していた。

***

人に何かを伝えることに対して少なからぬ情熱を燃やすようになったのは、いろいろあるけれど、いちばんには2011年の震災があったと思う。

あのころわたしは仙台にいて、震災を機に顕れ出たいろいろな矛盾―とつぜん幕が落とされて、それまで知らなかったこと(知ろうとしていなかったこと)を無理やり見せられた感じ―に対して、何らかの、わたしなりの答えを出さなきゃいけないような気持ちになって、毎日必死にもがいていた。
津波の被害と原発事故はすこし色合いが違って、「自然災害」と「人災」の違いなのか、それぞれをどう口にすべきか今でもまだよくわからないのだけれど、わたしがこれからどんな人生を選ぶのか、何を志向して生きていくかを考える時に、原発とかエネルギー、それを成り立たせる世界の仕組みみたいなものについて、知ろうとする必要があると思ったし、わたしはそれに対して自分の態度を何らかの形で表明していくべきだと思った。

震災後の仙台は不思議な雰囲気で、言葉を失うようなことが起こった後は、みなそのあとに溢れ出てくる言葉をどこへ投げたらいいのか分からなくなっていたような、行き場のない思いやことばがそこらじゅうに飽和していた。

そんなときに、わたしはわかめの会(三陸・宮城の海を放射能から守る仙台の会)の人たちに出会う。
福島の原発事故が起こる前から、放射能や原発についての学習会や上映会を自主的に開いていた市民活動グループ。
別にその活動を通してお金がもらえるわけでも世間から評価されるわけでもないけれど、彼らは自分の必要性にかられて集まって勉強したり話し合ったりしていた。

そういう人たちが仙台にいたということが素直にうれしくて、わたしもその活動に混ぜてもらうことにした。彼らのおかげでいろいろな情報につながりやすくなったけれど、一方で、わたしが通う大学や部活動の仲間には同じ言葉が伝わらなかったし、伝えることができなかった。
伝える努力をしていなかったということもあると思うけれど。

『声の届き方』という映像を撮ったのは震災から1年くらい経ったあとだろうか。
原発反対を訴えるデモと、そのデモに参加する人へのインタビュー、デモに参加する人に対して街の人たちがどう感じているかの街頭インタビューをまとめたもの。
その映像をつくることになったきっかけはいろいろあるけれど、いちばんは、デモに参加して感じた強烈な伝わらなさだった。
わたしはデモに参加している人たちと懇意にさせてもらっていたから、彼らがデモで主張するメッセージに共感していたし、はじめてデモに参加した時は、それを街で声に出せることに感動したのを覚えている。
けれどもそれを外から見る人たちの目というのは必ずしも理解を示そうとするものではなくて。奇異なものを見るような視線もときどき感じていた。

どうしてこの伝わらなさが生まれてしまうんだろう。
どうしたら声は届けられるのだろう。
あまりのその開き具合に、また、自分のやっていることが理解されないことに(被害妄想的でもあったかもしれない)思いつめて、公園で泣いた夜のことを思いだす。伝えられない自分の無力さへの嘆きでもあったのかもしれない。




このあいだ、瀬尾さんと小森さんの展覧会「あたらしい地面/地底のうたを聴く」に行ってトークショーで聞いたのが、「伝わらなさがあったから作品をつくった」ということば。
小森さんと瀬尾さんの映像作品をはじめて見た時に感じた、とても大きな驚きのようなもの。
そこには津波の被害にあった女性の映像と、その人自身の語りしかないのだけれど、ドキュメントと演劇が同席している不思議さというのか、そこには大きな飛躍があって。
その飛躍のうらには、ドキュメントだけでは伝えきれないという切実さがあったのだそう。

それから、彼女たちが陸前高田で生活をしながら作品つくりをしていたのは、そこにあるものを感知できるようにするための体づくりだったとも言っていた。
地域に住まうことで、そこで起こっているいろいろなものごとをより感じられるようになる。
イメージが蓄積されるとそれを外に出すという行為をする。
それが彼女たちにとっては見えた現実に応答することで、「イメージを受け取りました」という表明だとも言っていた。

この世には、たくさんの言葉があって、たくさんの言葉にならなかった思いがあって、耳から目から鼻から触感から、いろいろなところに情報というのはあるのだけれど、それをどう掴まえるかというのは同じところにいても人によって全然違って。

わたしがわかめの会の人びとや、農村で出会う人たちから語られた言葉や、そのとき感じたイメージというものは、わたしのやり方でしか受け取ることはできないもので、違う人だったら同じようにその人でしか受け取れないものがあるのだろう。
ときどき何に文章を書かされているのだろうと思うことがあるけれど、
わたしは毎日いろいろなひとやことものからたくさんのものを受け取っていて、それをなかったことにはできないというか、その大きさにおののきながらも、でもだからこそ、それを伝えなければいけない、書き留めておかなきゃいけない、そんな気持ちになるのです。

大きな壁のような、巨大な伝わらなさが横たわっているからこそ、そのヒリヒリとしたもどかしさをどうにかしたいと思うから、わたしはいまこうしてここにいるんだなあとぼんやり思う。
こういった志向は、これまで世界中にあるたくさんのものを産みだしてきたのではないかしら。

受け取るイメージはなまもので、それが失われてしまうことがないように、取り逃がしてしまうことがないように、そのときこうでしたと捕まえておくためにものをつくるのだろうか。
失われてしまうことを極度に恐れる必要はないとは思うけれど、わたしが図書館に行くとなぜか安心するのは、ここにはなまものではなくて、もう逃げることのないものがぜんぶあるとそう思うからなのかもしれない。

わたしも、瀬尾さんや小森さんのように、感知してそれを伝えるための体づくりをせねばと思っているところです。
伝え方は本当にいろいろあるのだけれど、
この国の首相や政治や経済を見ていると、頭でっかちカチカチに凝り固まって身動き取れなくなっているように見えるから、
淀んだ部屋に気持ちよく風が抜けるような、踊りだしたくなるような気持ちのいいことをしたいなと思っています。



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