2015年8月15日土曜日

百姓と戦争

戦争が終わって70年

この国には また戦争を始めたい人たちがいる
それは お金のため プライドのため アメリカやさまざまの関係のため
わたしには少し 理解しがたいことだけれど
人の命や生活を守ろうとしてやっているのではない ことだけはわかる

わたしの実家は百姓で
野菜をたくさんつくっている
休みに帰ると
この夏の暑さと日照りと草とのたたかいで 父も母も やられっちまって
地面に這いつくばりながら 砂埃にまみれながら
なんとか生きているという有り様

野菜たちはそれでも美しく美味しく
こんな暑さの中でも 実をつけて
キュウリはみずみずしく トマトは酸味を持ち 塩をかけるだけでいける
ナスは黒光り 終わりかけの茗荷は花をつけて
野菜たちは命をつなぐ糧として 食卓に並ぶ

わたしはスーパーで売られている製品を見ても
その裏にある悲喜こもごもの物語を知らない
よその国の誰かが泣きながらつくっているものかも知れない
スーパーで命のやり取りを感じることはなかなかに難しい

畑のなかには生き死にがあって
育てている野菜だけでなくて
虫カエル蛇鳥けものたち 雑草やらきのこやら
みんな必死に生きるため 日々 格闘 していて
百姓も 一緒になって格闘しながら
わたしたちが食べるものを取り出すために ある種の搾取もしている

汗水垂らして産み出されるものが 
効率的であるとか 経済的であるとか
そういう物差しで測ること自体 あまり意味のないことだと思えて
泥にまみれながら 毎日の天気に一喜一憂しながら 
昨日は恵みの雨が降った
と安堵する
このか細くて確かな健全さを わたしは信じている


2015年8月13日木曜日

ダンスを



7月から職種が変わる。

営業から編集へ。本の内容を話して伝える仕事から、ものを書いて伝える仕事に。
どんなことができるか。どんなことをしたいか。

仙台に久々に行ったこともあって、そもそも、どうしてこの仕事をしたいと考えていたのかを思い出していた。

***

人に何かを伝えることに対して少なからぬ情熱を燃やすようになったのは、いろいろあるけれど、いちばんには2011年の震災があったと思う。

あのころわたしは仙台にいて、震災を機に顕れ出たいろいろな矛盾―とつぜん幕が落とされて、それまで知らなかったこと(知ろうとしていなかったこと)を無理やり見せられた感じ―に対して、何らかの、わたしなりの答えを出さなきゃいけないような気持ちになって、毎日必死にもがいていた。
津波の被害と原発事故はすこし色合いが違って、「自然災害」と「人災」の違いなのか、それぞれをどう口にすべきか今でもまだよくわからないのだけれど、わたしがこれからどんな人生を選ぶのか、何を志向して生きていくかを考える時に、原発とかエネルギー、それを成り立たせる世界の仕組みみたいなものについて、知ろうとする必要があると思ったし、わたしはそれに対して自分の態度を何らかの形で表明していくべきだと思った。

震災後の仙台は不思議な雰囲気で、言葉を失うようなことが起こった後は、みなそのあとに溢れ出てくる言葉をどこへ投げたらいいのか分からなくなっていたような、行き場のない思いやことばがそこらじゅうに飽和していた。

そんなときに、わたしはわかめの会(三陸・宮城の海を放射能から守る仙台の会)の人たちに出会う。
福島の原発事故が起こる前から、放射能や原発についての学習会や上映会を自主的に開いていた市民活動グループ。
別にその活動を通してお金がもらえるわけでも世間から評価されるわけでもないけれど、彼らは自分の必要性にかられて集まって勉強したり話し合ったりしていた。

そういう人たちが仙台にいたということが素直にうれしくて、わたしもその活動に混ぜてもらうことにした。彼らのおかげでいろいろな情報につながりやすくなったけれど、一方で、わたしが通う大学や部活動の仲間には同じ言葉が伝わらなかったし、伝えることができなかった。
伝える努力をしていなかったということもあると思うけれど。

『声の届き方』という映像を撮ったのは震災から1年くらい経ったあとだろうか。
原発反対を訴えるデモと、そのデモに参加する人へのインタビュー、デモに参加する人に対して街の人たちがどう感じているかの街頭インタビューをまとめたもの。
その映像をつくることになったきっかけはいろいろあるけれど、いちばんは、デモに参加して感じた強烈な伝わらなさだった。
わたしはデモに参加している人たちと懇意にさせてもらっていたから、彼らがデモで主張するメッセージに共感していたし、はじめてデモに参加した時は、それを街で声に出せることに感動したのを覚えている。
けれどもそれを外から見る人たちの目というのは必ずしも理解を示そうとするものではなくて。奇異なものを見るような視線もときどき感じていた。

どうしてこの伝わらなさが生まれてしまうんだろう。
どうしたら声は届けられるのだろう。
あまりのその開き具合に、また、自分のやっていることが理解されないことに(被害妄想的でもあったかもしれない)思いつめて、公園で泣いた夜のことを思いだす。伝えられない自分の無力さへの嘆きでもあったのかもしれない。




このあいだ、瀬尾さんと小森さんの展覧会「あたらしい地面/地底のうたを聴く」に行ってトークショーで聞いたのが、「伝わらなさがあったから作品をつくった」ということば。
小森さんと瀬尾さんの映像作品をはじめて見た時に感じた、とても大きな驚きのようなもの。
そこには津波の被害にあった女性の映像と、その人自身の語りしかないのだけれど、ドキュメントと演劇が同席している不思議さというのか、そこには大きな飛躍があって。
その飛躍のうらには、ドキュメントだけでは伝えきれないという切実さがあったのだそう。

それから、彼女たちが陸前高田で生活をしながら作品つくりをしていたのは、そこにあるものを感知できるようにするための体づくりだったとも言っていた。
地域に住まうことで、そこで起こっているいろいろなものごとをより感じられるようになる。
イメージが蓄積されるとそれを外に出すという行為をする。
それが彼女たちにとっては見えた現実に応答することで、「イメージを受け取りました」という表明だとも言っていた。

この世には、たくさんの言葉があって、たくさんの言葉にならなかった思いがあって、耳から目から鼻から触感から、いろいろなところに情報というのはあるのだけれど、それをどう掴まえるかというのは同じところにいても人によって全然違って。

わたしがわかめの会の人びとや、農村で出会う人たちから語られた言葉や、そのとき感じたイメージというものは、わたしのやり方でしか受け取ることはできないもので、違う人だったら同じようにその人でしか受け取れないものがあるのだろう。
ときどき何に文章を書かされているのだろうと思うことがあるけれど、
わたしは毎日いろいろなひとやことものからたくさんのものを受け取っていて、それをなかったことにはできないというか、その大きさにおののきながらも、でもだからこそ、それを伝えなければいけない、書き留めておかなきゃいけない、そんな気持ちになるのです。

大きな壁のような、巨大な伝わらなさが横たわっているからこそ、そのヒリヒリとしたもどかしさをどうにかしたいと思うから、わたしはいまこうしてここにいるんだなあとぼんやり思う。
こういった志向は、これまで世界中にあるたくさんのものを産みだしてきたのではないかしら。

受け取るイメージはなまもので、それが失われてしまうことがないように、取り逃がしてしまうことがないように、そのときこうでしたと捕まえておくためにものをつくるのだろうか。
失われてしまうことを極度に恐れる必要はないとは思うけれど、わたしが図書館に行くとなぜか安心するのは、ここにはなまものではなくて、もう逃げることのないものがぜんぶあるとそう思うからなのかもしれない。

わたしも、瀬尾さんや小森さんのように、感知してそれを伝えるための体づくりをせねばと思っているところです。
伝え方は本当にいろいろあるのだけれど、
この国の首相や政治や経済を見ていると、頭でっかちカチカチに凝り固まって身動き取れなくなっているように見えるから、
淀んだ部屋に気持ちよく風が抜けるような、踊りだしたくなるような気持ちのいいことをしたいなと思っています。



わたしの仙台案内。



だいぶ日が経ってしまったけれど、先月、たまっていた代休を使って久しぶりに仙台へ行ってきました。

3年前まではここで暮らしていたのだなといろいろ思いを馳せながら、あちこちへ出かけたり、お世話になった方たちに挨拶しに行ったり。
今回行った場所は、自分のメモ用と勝手な宣伝用にとFacebookに載せましたが、追記を含め、こちらにも再掲しておきます。

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ごはんやさん

●パンフレーテ
学生時代にバイトしていたレストラン。地下鉄の北四番丁から歩いてすぐ。畑の恵みピザ、野菜の寿司などユニークなメニューがたくさん。バイトしていた時はお昼に出るまかないが本当に楽しみだった。今回は職場の先輩後輩と食べて飲んで。相変わらずおいしかった。

●来々軒
塩釜駅から歩いて行ける昔ながらの中華そば屋さん。雄さんに連れて行ってもらいました。優しいお味でほっとした。休日のお昼だったからかけっこうな行列ができていました。

●喫茶ホルン
smtからすぐ。今回2回も行ってしまった。仙台でバンドをしているyumboの渋谷さんとなつみさんが営むお店。南インド風カレーはもちろん、コーヒーも、なつみさんの手作りおやつもおいしい。常にナイスな音楽がかかっていて、置いてある本も雑貨も秀逸。最近は無農薬野菜も置き始めたようでした。

●コクトー (Cocteau)
仙台駅東口からすぐ。静かで雰囲気のよい喫茶店。ご飯もお酒もいけます。

●ナマスカ 仙台南町通り店
仙台駅西口から南町通り歩いて行けます。インドカレーの店。ボリュームたっぷり。店内ひろし。わかめの会のみなさまに連れてもらい始めて入店。カレーもナン(チーズナンも)もスナックもおいしかった!

●ノートルシャンブル
仙台駅から泉方向へ、バスで4,50分。閑静な住宅街の中に素敵な建物が。地元の野菜を使ったごはんとおいしいお茶が楽しめます。併設している『あしたのたね』さんでは素材にこだわった調味料や地元の減農薬・無農薬野菜も売ってました。

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美術館etc.

●芹沢銈介美術工芸館
東北福祉大のキャンパス内。前に住んでいた家からすごく近かったのに行くのは初めて。展示終わったばかりで常設のものだけだったけれど、見にいけてよかった。色使いと、踊るような文字が美しかった。息子さんが東北福祉大の名誉教授だったんですね。

●塩釜市杉村惇美術館
雄さんが車で連れて行ってくれたところ。着く前にハプニングありましたが、美術館の雰囲気もちょうどやっていた美術展(佐野美里彫刻展 Say Hello!)もよかったです。もともと公民館だったところをリノベーションしたらしく地域に馴染んでいました。川村さんにも会えてうれしかった。

●フォーラム仙台
学生の頃会員カードつくってしょっちゅう通っていた映画館。単館系でいい作品を上映しています。観たのは河瀬直美の新作『あん』。樹木希林が素晴らしすぎて一緒にいたあいちゃんもわたしも気付いたら号泣していました。

●smt(せんだいメディアテーク)
ここも学生の頃しょっちゅう通っていました。図書館では人を待つ合間に森達也の『A』を観ました(地下鉄サリン事件後のオウム信者ドキュメント)。
7階では、映像作りとか人生相談諸々でお世話になっていた学芸員の清水チナツさん、清水建人さん、伊藤裕さんに挨拶できました。

●カネイリミュージアムショップ
smt1階に併設されているミュージアムショップ。東北の職人が作る伝統工芸品、デザイン・アート書籍、 雑貨を取り扱っているお店です。ショップ店員のしょうこさんが並べていた本のセンスが良すぎて、花森安治『一銭五厘の旗』、井上ひさし『子どもにつたえる日本国憲法』等々、思わずたくさん買ってしまいました。



●東北大学雨宮キャンパス
来年取り壊し、移動になってしまう農学部キャンパスへ。緑が多くて気持ちいいところでした。あいちゃんが研究室にあったホタテを分けてくれました。

●火星の庭
仙台駅西口からも歩いていけるブックカフェ。古本も新刊も雑貨もあります。仙台の良心的本屋さん。ときどきイベントもやっています。

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会った団体

●短距離男道ミサイル
演劇やっていたときの知り合いがたくさん参加している男臭く、強烈な団体。総合演出の澤野さんがパパに、代表が同級の本田くんになってました。ミサイルはほとんどの舞台で裸になるからかわからないけれどみんないい身体しています。夜中に数人で飲んだの、楽しかったな。みんな宵っ張り。

●文化人類学研究室
3年間お世話になった研究室。大好きな先生に会えました。毎年恒例のカレーパーティーの日だったので飲み会にもたくさん人が集まっていました。知らない後輩がほとんどだったのですが私が書いた卒論知っている子たちがいてうれしかったです。そしてみんな好奇心のかたまりみたいに目がキラキラしていてなんだかまぶしかった。

●わかめの会(三陸・宮城の海を放射能から守る仙台の会)
卒論でフィールドワークさせてもらった市民活動団体。震災前から原発や再処理工場のことを自分たちで勉強したり広く伝える映画の上映会などをしていて、わたしは震災後彼らに出会っていろいろなことを教えてもらいました。今回はみんなでカレーを食する会を開いてくれました。おなかいっぱいむねいっぱいになって帰ってきました。

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という感じで、いろんな人にお世話になっていろんなところに行けて会えて話せて、本当に仙台好きだなーと思いました。大学4年間、ただ鼻垂らしていたわけじゃなくて、素晴らしい人たちにたくさん出会えていたのだなとわが身の幸せを噛みしめました。

そして、あの4年間、モラトリアム的な時間の中で、不断なくと言ったらうそになるけれど、毎日悩んだり、考え続けてきたことというのがいまのわたしにつながっているのだなということも改めて実感できたことがとてもうれしかった。