2014年5月4日日曜日

5月の休日 花のかおりに

季節だからか、まぶしいくらい道々の花が輝いていて、みるたびに一瞬、こころを奪われる。

■博多

毎週末、博多の寮に戻るたび、庭先にジャスミンの花が咲いているのを見た。林田さんが言うにはジャスミンの花は咲いた後はすぐに枯れてしまうのだそうなのだけれど、ちょうど気温があまり上がらなかったこともあって、3べんも見ることができた。つぼみがピンクに色づくまで、寮の前にジャスミンの木があったことなんて知らなかったけれど、咲きほこるジャスミンはその存在を見過ごせないくらいにものすごい香りを道中にばらまいていた。


つぼみは濃いピンク色だったのに、咲くと花は白くて、なんともいえずかわいらしくて、すこしだけ自分の部屋に持ち帰って絵を描いた。絵を描くという行為によってすこしでも近づきたいと思っていたのだけれど、なかなか簡単にはいかなかった。


ジャスミンの花に限らず、心を奪われるものごとに出くわすと、どうにもできないきもちになって(わたしはそれになりたいのかもしれない)、どんな方法によってかよりちかくに、ちかくにと行きたくなる。踊りや、歌や、文章や絵を描くというのは、あるものに近づくための儀式のようなものではないかと勝手に思っているのだけれどどうだろうか。そういう儀式をするときは、わたしのこころはとてもしん、とした気持ちになっていて、何かをしなければならないとかいった日常にある雑多な気持ちと離れて、なにか祈りにも似た静かな気持ちになることができる。


■天草

4月は、3月までいた沖縄を離れて、熊本の天草へ。



海の向こうには雲仙普賢岳があって、引き潮と満ち潮、雲のようすや光の当たり具合で海は毎回表情を変えて、その都度その都度、わたしはなんとも言えない気持ちになるのでした。久々の田圃のある風景。その土地特有の景色、ランドスケープを気にするようになったのはさいきんのことで、その景色のなかで生きているひとたち、その景色をつくってきたひとたちはどんなふうに暮らしていたのだろうか、そしていまどんなふうに暮らしているのだろうかと、思うだけでだれも答えてはくれない疑問が浮かぶ。


わたしの故郷には海がないから、海がある生活というものは縁遠いものだった。小さな島で出会った花農家のおじさんは「ここは別天地さ」と豪快に言って、バイクで周囲4キロの島を案内してくれた。島の中は治外法権みたいな感じで、ヘルメットもつけない、ナンバーもつけていない車やバイクの人が多かった。その島は、わたしが3年前に行った祝島にどことなく雰囲気が似ていた。若い人はやはりすくなくて、ほとんどが60代以上のおじいちゃんやおばあちゃんだった。



海にはポツリポツリと小さな島々が浮かんでいて、大きな島同士をかける5つの橋を毎日バイクでわたりながら、毎度毎度、その景色に見惚れた。毎日、こんな風景をみて、その土地の人と話していても、それをだれとも共有しないままにいると、なんだか、自分が見たり聞いたりしていることは全てまぼろしなのではないかと思えてくる。



くもの切れ間から光が差し込む様子は神話の世界のようだった。




■長野


お休み前、仕事で一日だけ長野に行った。一年前を思い出す。博多から名古屋へ出て、名古屋から長野駅へ向かった。木曽山脈と木曽川に沿って線路は走っていて、車窓から見える景色は格別だった。ここでは天草とは全く違う暮らしが営まれているのだろうと思った。帰り道の車の中で、雪が残る高い山々を見た先輩が、これを毎日見ていたら神さまがいるって思うだろうねとぽつりと言っていた。


2月に沖縄に行ったらもう桜は散っていて、3月末に戻った博多でももう桜は散っていて、4月末の長野では、いまちょうど桜が咲いていた。


■埼玉

長野から休みをもらって帰省した。特に何も誇るもののない地元だけれど、あちこち外の地域を回るようになってから、また近くの景色を見渡してみると、案外いいところもあるように思えた。幼馴染の友人がつくった酵素ジュースと秋に採った栗ペーストのクッキーを持って庭に御座を敷き、ピクニック気分で乾杯した。




それから、このあたりもきれいなところがあるんだねと一緒に近所を散歩した。




それでも近くの雑木林がメガソーラー施設を設置するためになくなってしまっていたり、またそんな場所ができる、という話を聞いたりした。
景色がいつもよりきれいに見えるのは、失われてしまうことを考えるからなのかもしれない。天草のあのきれいな風景であっても、むかしと比べればもうたくさんのものが失われていた(豊富にいた貝や魚たちがものすごく減ってしまったという話を聞いた)。損なわれたり失われてしまうかもしれないという惧れの感覚は、さいきん特に切実で、田舎を回っていると、もうこの世界は取り返しのつかないところまで来ているのではないかとおもうことがよくある。誰が悪い、ということもなくて、その大きな流れに抗うことは難しくて、わたしは失われてしまうかもしれないものたちをただただ愛でることしかできない。

そういえば、村上春樹の新刊も、失われてしまったものたちの物語だった。東京に行くたびに大きなスーツケースをもって嵐のように訪れて嵐のように去っていくわたしを毎回あたたかく迎えてくれる友人が、なぜか同じ本を二冊持っていて、その一冊をくれた。女のいない男たち という題名は萩尾望都のマージナル を思い出させる。男のいない女たち というのは題名としてなんだか恰好がつかないのかもしれないけれど、でもわたしのまわりにいる魅力的な友人たちは、長く付き合っていても分かるようで分からない部分がたくさんあって、そんなタイトルでわたしも本一冊くらい書けるのではないかと思ったりもした。

さいきん、仙台の友人と文通をしていて、週末に博多の寮に戻るとはがきが届いているのだけれど、そこにあった「私達はいつか、身体に無理な仕打ちをしない生き方に行き着くのだと確信しています。」という言葉に何度も救われる。
この間読んだ早川ユミさんの「種まきノート」という本がとてもよかった分、そこで描かれる生活の豊かさと自分のそれとのギャップに打ちのめされもしていたわたしは、彼女の言葉をお守りのようにもって、じぶんの今を励ましている。ここでも多分たくさんできることがあって、それをちゃんとしようと思う。
幸せはそこいらじゅうに転がっていて、実家の味噌汁がすごくおいしかったこととか、職場の先輩や同輩がほんとうにいい人たちばかりであることとか、あちこち移動しながら見る景色がそれぞれ美しくて、そこで生きるひとたちの素晴らしい営みや人柄に出会えたときだとか、そういうものに毎日励まされていて、わたしもまた誰かを励ませるような働きができたらいいのにと思う。

そしていつか、自分の小さな庭を持つことができたら、木香薔薇と難波茨とジャスミンの苗を植えたい。



花のかおりに、というフォーククルセダーズの音楽がとてもすきです。