2014年3月29日土曜日

生きものであることをわすれない

「僕らはとても忘れっぽい」

森達也が『いのちの食べかた』でこう書いていたけれど、本当にそうで、だからこそ戦争は繰り返されるのだし、沖縄に基地は在り続けるのだし、原発は日本から、世界からなくならないのだろうと思う。


うりずんの沖縄は、きらきらと輝いていて、こんなに世界は美しいのに、最近のニュースを見ていると戦争はすぐそこだなと感じます。


自分自身が、あたたかい血の通った生きものであること
それぞれの痛みや喜びを想像すること


これをわたしたちは往々にして忘れている。戦争や基地や原発の問題というのは、誰かが悪いというのではなく、わたし自身にもその芽はある。人間のとても弱い部分。じぶんを大きく見せたいとか、ほかの人より優れていると認められたいとか、満たされない思いだとかがふくらんで、思念の塊になると誰かを排斥せずにはいられなくなるのだろうか。ネット上で人を叩きまくる、いわゆる「ネトウヨ」の人たちにリアルで出会ったことはないのだけれど、多分彼らはただのさびしがりだろうと想像する。満たされない思いのはけ口を煽動することは容易くて、それは、えた非人百姓武士の身分制度があったころから一部の人たちの思惑のために利用されてきたものであるのに。


国が違えば、文化も違うからうまくコミニュケーション取れないのは当たり前だ。隣にいる人とであっても理解しあうことは難しい。コミニュケーションが取れないと、じぶんのことを理解してもらえない苛立ちが募ると、「よく分からない」相手を「あいつはこうこうこういうやつだ」と自分と隔てたものとしてラベリングする。忘れっぽいわたしたちは、その人が自分と同じ、あたたかい血の通った生きものであることをすぐに忘れて、簡単に攻撃することができるようになる。


こういう感覚的な話っていうのがどこまで伝わるかは分からないのだけれど、先週末仙台に行って、久々に友人たちと会って、HaTiDORiのイベントをして、山田洋二の「学校」を見て、しみじみとそう思いました。


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22日のHaTiDORiはほんとうに素敵な集いになりました。



ちひろさんが「毎回HaTiDORiに参加して感じることは 、皆さんほんと優しいなぁってこと。愛を感じる。それぞれ意見や環境は違うけど、だれかの為に行動するって大きな愛だと思う。毎回 私は愛の連鎖のようなものに感動している。」と書いていたのだけれど、わたしも本当にそう思う。


わたしたちはさっき書いたような弱さもあるけれど、こういう優しさもみんな持っているのだと思う。
子を想う母親や大人たちの純粋な愛情にやられました。
震災後の東北に生きるお母さんやお父さんたちは日常生活の中でどうやって子供たちを被ばくから守れるだろうと毎日闘っていて、彼ら彼女らを支えたいと支援する人たちも闘っていて、それはきれいごとではなくて先の見えない長くて苦しい闘いだろうと思うのです。spaceship 仙台ゆんたという小さな幼稚園を営みながら、ちいさなたびJapanという母子週末保養プロジェクトを続けている虹乃美稀子さんが、悲しい話をしたらきりがないけれど、でもそれを分かち合える人がいるだけで全然気持ちは違うのよ、と言っていて、わたしも遠くにいても、耳を澄まして寄り添っていきたいと思いました。

トークをしてくれたISEP環境エネルギー政策研究所・研究員で、エネシフみやぎのメンバーである浦井彰さんのお話で面白かったのが、「お母さんや女性というのは頭じゃなくて、本能的に動くことができるけれど、男性は経済とか、論理的な部分を大事にするからなかなかこうした運動で前に出てくる人が少ない」ということ。
男性・女性で区別するのは難しいけれど、確かに人によってそういう考え方の違いはあるだろうなと思う。原発が危ない、低線量被ばくが不安だ、子どもたちの代に負の遺産を残すのは止めようと本能的に思う人と、そういう感覚よりも、今どれくらいの電気を使っていて、どれくらい無駄があるのか、原発は使っていないけれど化石燃料燃やしてできるエネルギーはいつぐらいまで持つのか、代替エネルギーの実現可能性はどれくらいあるのかと具体的な話が分からないと賛成も反対も言えないという人と。どっちも大事な考え方で、浦井さんのように後者の疑問に答えてくれる人がいるのはありがたいことでした。


会場で、子どもたちが楽しそうに遊ぶ声を聞きながら、これからのこと、わたしたちは何ができるのかを考える。低線量被ばくからどう守れるだろう。自分の子どもがいてもいなくても、子どもはわたしたちの子どもで、みらいの種であるということ。忘れっぽいわたしたちは何度でも何度でも思い出さなきゃいけない。


今回のHaTiDORiは、わたしは遠いところからやって来たただの参加者という感じで、これまで仙台に住む学生だったときと目線が違っていた。その地にいなければ分からないことがきっとたくさんあるのだろうと、遠くにいるといろいろなこと忘れてしまっているものだと思った。
一年前の学生だったわたしにできたことと、日々、あちこちを駆けまわりながら仕事をしているいまのわたしにできることはもちろん違う。
じゃあどうしようか。仙台から沖縄に仕事をしに戻ってきて、すこしそのギャップにぼーっとしていたのだけれど、日々たくさんの人とコミュニケーションをとりながらたくさんの物語を知ること、それを自分の一部にしていくこと、自分の生活とつなげていくこと、人に伝えていくこと、選び取っていくこと、未来を描いていくことができたらいいなと思えて、これからの自分の仕事を考える良い機会になりました。


今回、HaTiDORi始まる前にちょこっとじぶんの近況報告会させてもらったのだけれど、大学時代の同級生が何人か来てくれてとてもうれしかった。元気そうでよかったです。ありがとうございました。お互い元気でまた会いましょう。


そして、今回一緒にHaTiDORiやろうって声かけてくれたみずほさんに感謝。離れているからほとんど準備とかできなかったけれど、あの場所で、みんなとひとときを共有できてすごく幸せでした。
1ミリ1ミリ世界を良くしていきたいって言ってくれたみずほさんの強さと優しさに涙。半端じゃない思いを感じました。
山田洋二の「学校」に出てくる人たちもみんな優しくて愛おしくて、見ながらぼろぼろ泣いてしまったけれど、フィクションじゃなく、愛って存在するなあと思うのでした。



2014年3月14日金曜日

お知らせふたつ

毎日いろいろな人に会って毎日いろいろなことを聞くけれど、それをしっかり書き留めて人に伝えることができないとどんどんとこぼれ落ちていくのではないかと不安や焦りや苛立ちなんかを覚えたりします。

とはいえ、これだけは。
お知らせふたつ。

■「 心〜ククル〜UAやんばるLIVE 」 映画会  (←リンクに飛びます)
2014年3月14日19:30〜
パタゴニア仙台にて

沖縄の北部、「やんばる」と呼ばれる自然豊かな山の奥・高江集落の隣で、アメリカ軍が戦争の演習をするため、オスプレイなどが離着陸する「ヘリパッド」の建設が進んでいます。
建設のためになくなってしまう森は何万平方メートルと言われています。やんばるの森には、地球上でここだけにしかいないヤンバルクイナやノグチゲラなど貴重な固有種が生息しているそうです。一部の人間のエゴのために、こうした生きものや、そこに住む人たちの暮らしが壊されてしまう。

やんばるの森を守りたい。その想いで仙台に住むwasanbonオーナー・ふみさんが、2007年10月31日、 やんばるの森に、300人のオーディエンスを集めたUAさんのライブを上映します。
RICE PAPER 88さんが、この日のライブをメインに、トークセッションやヘリパッド問題など詰め込んだ映像だそうです。

ぎりぎりになってしまいましたが、仙台で、興味のある方は、是非。上映会の売上は、沖縄・高江の「ヘリパッドいらない住民の会」さんへの寄付になるそうです。



HaTiDORi (←リンクに飛びます)



2014/3/22(土)14:00~19:00
(終了後、20:30まで交流会を予定)
場所:0 base(ゼロベース)仙台
入場料1500円(1ドリンク付)※予定
※イベント収益の一部は、週末母子保養プロジェクト「ちいさなたびJapan」に寄付します。

2011年3月11日に震災と原発事故があってから、日本のエネルギーの現状やこれからのことについて、自分の思いや言葉がなかなか近くの人に伝えられず悶々としていた時に、みんなで学びながら話し合える場をつくろうと工藤瑞穂さんと何回も重ねてきたこのイベント(ここにいきさつなどちょこっと書いています)。

今回のHaTiDORiは、鎌仲ひとみ監督・映画『小さき声のカノン-選択する人々』プレ上映会と、福島の子供たちの保養、除染活動、食べ物の放射能測定、自然エネルギー普及等に携わるゲストの方のトークを予定しています。

開始前の13時から、工藤瑞穂さんとわたしの近況報告会をします。みずほさんからは祝島レポートと、HaTiDORiの活動報告、わたしは今の仕事(全国津々浦々の農家を走り回る?仕事)をしながら出会った人やものやことについて話すつもりです。もしよろしければこちらも。久々の仙台なのでいろいろな人に会えるのを楽しみにしています。

入退場自由なのでちょっとでも時間がある方、ぜひのぞきに来てください。ゼロベースはせんだいメディアテークから歩いてすぐのところにあります。

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今週はあちこちでキャベツやらほうれん草やらピーマンやらひらたけやら貰いました。自炊は楽しくて美味しいです。
毎日美味しいものを食べれてあたたかい布団に入って寝られることに感謝。