2013年12月3日火曜日

からだのこえを聴く

服部みれいさんの『自由な自分になる本』に載っていた「月経血コントロール」というもの、やってみている。まだ上手にできているとは言えないけれど、意識すると、ちがうものだ。

月経血コントロールは生理がきてから、月経血を膣内にためておいて、トイレで排泄すること。昔の女性は、下駄をはき、鼻緒を指でしめ、内また気味に歩くということを日常からやっていたから自然とこのコントロールができていたそう。

三砂ちづるさんの『オニババ化する女たち』にもこの話が書いてあって、できたらいいなと思っていたのだ。で、今回はじめてしっかり意識して試してみている。布ナプキン手元になかったのでガーゼを8枚重ねにしたものを2つ使ってみた。昨日今日と外へ出ず中にいられるので試しているけれど、やはり、紙ナプキンみたいににおいが気にならなくなるし、自分の手できれいにするから捨てるものもないし汚物感がなくなる。あと、できるだけ布を汚したくないからコントロールするぞ、って感じにもなる。
トイレの汚物入れって嫌いだったのでそれにお世話になる必要がなくなるっていうのもうれしい。

みれいさんの本にも載っていたけれど、赤ちゃんのときが紙おむつで、生理が来るようになったら紙ナプキンで、お年寄りになったら尿漏れ防止の紙おむつをするようになると思うと、人生の中で結構長い間おむつに世話になることになるわけで、そういう売り場に行くと、赤ちゃんから介護用までのおむつがずらりとならんでいて、ちょっと恐ろしい。
くすりに頼りきりであることも、おむつに頼りきりであることも似ていて、じぶんではなく、外部のものに、お金を出してじぶんのからだを預けることにわたしたちは無意識のうちにならされている。たべものだってそうだ。昔は物がなかった、というのもあるけれど、もう少しじぶんのからだのことはじぶんで面倒見ていたのではないかな。その感覚を少しずつでも取り戻していきたい。

このあいだ、先輩たちと整体の話をしていたのだけれど、わたしは気持ちよく身体をうごかせればいいと思っていて知識として知らないことがたくさんあって人に説明できなかった。いいものでもじぶんだけできてもしょうがないし、人に伝えられるようになりたいと思うので、いろいろ勉強したいな。
とりあえず、今、片山洋次郎さんの『骨盤にきく』をもういちど読み返していて、三枝龍生さんの『からだは何でも知っている』を読んでいるところ。
忙しいのはあるけれど、忙しくて時間がない、を言い訳にして、じぶんのからだのことをひとまかせにしたくない。一生つきあうこのからだのこと、少しづつでも知って、いろんなひととシェアできたらと思う。飯田さんからの宿題でもある。

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